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日本統治時代の石仏が残る台北新四国八十八ヶ所霊場の痕跡を求めて

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【 台北新四国八十八ヶ所霊場 / 台北天后宮 / 北投普済寺 】

台北に四国霊場が存在していた

日本の四国4県(徳島県・高知県・愛媛県・香川県)には弘法大師(空海)に縁のある88の寺院を巡拝する霊場があります。

四国八十八ヶ所霊場。1000年以上の歴史のある霊場ですが、当初は修行僧が修行するためのものでした。

これが庶民に知れ渡ってきたのは江戸時代後期。書籍(ガイドブック)まで販売され、四国以外の地域でも知名度が格段に上がってきました。

しかし知ったからと言って、行きたいからと言ってもそう簡単に四国に行ける時代ではありません。

江戸時代、実際には四国へのアクセス難易度の低い、関西や中国地方の人たちが多く四国八十八ヶ所で巡拝していました。

信心深い当時の庶民ですが、多くの他の地域の人々には本当に遠い場所だったのです。

しかしそのご利益は絶大とされ、どうしても行きたい庶民は全国各地に四国八十八ヶ所霊場を模した霊場を作っていきました。

これは写し四国、地四国、準四国、新四国などと呼ばれ、四国八十八ヶ所霊場同様に88の札所を設けるものの、規模は小さく地元で気軽に巡拝できるものでした。

四国八十八ヶ所霊場は徒歩で約1,200kmの遍路道を歩きますが、各地にできた写し霊場は1ヶ所に集約されたものから、多くは数十km程度。

それらは時代と共に廃れているものもありますが、近代になってから創設されたものもあり、今でも130以上の写し霊場が北海道から九州まで日本各地に存在しています。

こういった庶民の行動は他の事象でも同様の傾向があります。

四国八十八ヶ所同様に1000km以上の距離を歩かなければならなかった西国三十三観音霊場の写し霊場、富士山信仰に基づく富士塚の築造など、「実際に行くのは難しいから、地元に同じようなもん作ったる!ご利益は同じ!」という考え方。

そんな写し四国の霊場ですが、実は台湾にもあるのです。

台湾にある2つの写し四国霊場

台湾にも実は2つの写し四国が存在していました。日本統治時代に台湾にも四国霊場を作ろうとした人たちがいたのです。

花蓮の慶修院にある写し四国。今は観光地となっているこちらの方が知名度はあると思います。

慶修院は日本統治時代は吉野村真言宗布教所と呼ばれ、四国出身者の多い地域で住民たちが自ら行動して真言宗の布教所を誘致し、創設。

そしてその布教所内に四国八十八ヶ所霊場の実際の札所となっている寺院のご本尊の石仏を安置し、巡拝できるようにしたものです。

これは当時の17の石仏が現存しており、他の石仏は新しく用意した上で、現在は慶修院内で巡拝できるようになっています。

そしてもう一つは台北新四国八十八ヶ所霊場

こちらは台北市内を巡拝するもので、台北市内中心部から士林〜芝山岩〜陽明山〜竹子湖〜北投という遍路道コースでした。

日本の四国八十八ヶ所霊場と同じように金剛杖を持ち、菅笠を被り、白衣を着て歩いていたそうですが、一部では電車を使うツアーなども存在していたようです。

長い間、日本人からも台湾人からも忘れ去られていたこの台北新四国八十八ヶ所霊場は、2014年林承緯教授が書いた「宗教造型與民俗傳承」という本で脚光を浴びます。

この本は日本統治時代の霊場について考察した本で、写し四国霊場や写し西国霊場にあった現在に残されている石仏についても詳しく書かれています。

しかし台湾に存在したいくつかの写し霊場で造られた石仏は多くは散逸しており、この本を機に一部の台湾人有志たちがまだどこかに残されているかもしれない石仏を探す行動に出ました。

台北新四国八十八ヶ所霊場の残された石仏

「宗教造型與民俗傳承」発行当時は31の石仏しか確認されていませんでしたが、2024年3月現在、少なくても40近い石仏が確認されており、未確認情報を含めると88の半数程度の石仏が残されている可能性があります。

終戦により、日本の統治が終了したことで、石仏を管理する日本人がいなくなり、石仏は壊されたり、盗まれたり、売られたりしたようです。

現存が確認されている石仏は寺廟、個人宅、道端、施設、博物館など様々な場所で保管されており、全てが簡単に見学できる状況ではありませんが、台湾人有志たちは将来的に再興を考えているようです。

そんな台北新四国八十八ヶ所霊場のいくつかの石仏を巡拝してきました。

1番札所と88番札所の石仏は当時と同じ場所に現存

1番札所は弘法寺という真言宗のお寺でした。終戦後に弘法寺は廃寺になってしまいますが、その跡地には台北天后宮ができ、1番の石仏はそこに現存しています。

石仏はご本尊と札所番号、札所寺院名が彫られており、台北天后宮で実物を見ることができます。

台北天后宮には他にも2番石仏も現存、また元々真言宗の寺院であった名残ですが、弘法大師の立像、坐像も現存しています。

道教の廟に仏教の弘法大師が祀られているのは、台湾ではここだけです。

88番の石仏は北投鐡真院にありました。88番の石仏は終戦後所在が不明でしたが、2019年に陽明山のパイナップル農家の路傍で祀られているのが有志に発見され、2023年になって北投鐡真院の後にできた北投普済寺に移設されました。

私が行った時の写真では台座の上に安置されていますが、この後に祠が築造され、現在は小祠の中に安置されています。

こうして霊場で重要な1番と88番の石仏は創立当時の場所に現存しています。

台北新四国八十八ヶ所霊場まとめ

臨済護国禅寺や正願禅寺、北投文物館、国立台湾歴史博物館(台南市)といった場所にはまとめて多くの石仏が残されています。

それら以外は台北市内の多くは陽明山、北投地域に点在していますが、大切に保管されています。

これらの石仏は日本統治時代の歴史を語る貴重なものであると同時に、観光資源にもなると思います。

私は2021年に徒歩で四国八十八ヶ所霊場を巡拝しました。そして台湾でもいくつかの石仏を巡拝しました。

そんな私が思うのは、台湾に写し四国霊場があったことをもっと多くの人に知ってもらいたいということ。現在のところ日本ではほとんど知られておらず、むしろ台湾人の方が知っている状況です。

今でも見に行くことはできますが、いつの日か再興された時には、きっと日本からも多くの人が行くはずです。

台北新四国八十八ヶ所霊場が創立されたのは1925年。来年は創立100周年を迎えます。日台で何かイベントなどの動きがあれば嬉しいです。

あなたも100年前の日本人たちが作った石仏を見に行きませんか?

 

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