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【 烏來 観光 / 内洞瀑布 / 内洞国家森林遊楽区 / 油桐花 / 羅好 / 南勢渓 / 新北市 / 台湾ハイキング 】
(日本語翻訳=Alice、Kotaro)
目次
内洞国家森林遊楽区
新北市 烏來(ウーライ)にある内洞国家森林遊楽区に初めて足を踏み入れると、木棧道の近くの樹の上で戯れる2羽のヤマムスメ(台灣藍鵲)が目に入ってきました。遊歩道を進むと、大きくて彩色が目立つ彫塑が目の前に誇らしげに立っています。この柱には、先住民の象徴として台湾固有の鳥やカエル、蝶が埋め込まれていて、これから行く森林遊楽区のトレイルが自然に溢れた体験になることを期待させます。多くのカエルが鳴くことから名付けられた地名を持つ「娃娃谷」は、渓谷と渓流、そして落葉広葉樹林の三つが揃った美しい峡谷です。
羅好ダム
羅好(Lahao)は、タイヤル語で「濃密な森」を意味します。内洞遊歩道の途中にある南勢渓谷の「羅好ダム」(羅好水壩)では、油桐の花に白く彩られた山と碧色の渓流を堪能できます。羅好ダムは水を貯め、水位差を利用した発電機能を有します。昔、下流にある台電桂山発電所の製氷部門が、冷却コンクリートダムの発想で氷を作り、1本のアイスキャンディーを1元コインで販売していたことが、記憶に残っています。
烏紗溪の滝
南勢渓の本流に対して支流の流れが劣るため、本流への合流部で烏紗溪瀑布(滝)が形成されました。展望台から、鬱蒼とした密林の中に滝が見えます。ゆっくりした流れの渓流が滝となり、らせん状に流れ落ちる様子を眺めることができます。
油桐花の小径
油桐花(アブラギリの花)は、軍需産業と家具木材に使用するため、大量に輸入して栽培されたと伝えられています。種子から絞った桐油は、防水材として武器、油紙傘、下駄、家具などに塗られました。原産地は中国華南に由来し、晩春(4月下旬〜5月上旬)になると山が真っ白い桐の花で雪化粧されます。繊細な花びらが舞い落ちて山の小径を覆い尽くし、まるで白い絨毯のようです。油桐花の絨毯の上を歩いて行くと、前の訪問客が残した大きなハート型の模様があって、愛の芽生えという花言葉を頭に浮かべ、思わず微笑んでしまいました。
南勢渓
平坦な散歩道では、渓流に沿って緑の山々が連なる景色を眺めながら、せせらぎを聞き、日々の喧騒を忘れて大自然を味わうことができます。川岸には、クスノキ(楠樹)や背の高い樹木が生い茂り、シダ類の楽園となっています。流れが滞った川水に目を移すと、苦花魚(コイ科の台湾固有種)や銀亮魚(アユ)が銀鱗を閃かしながら石の隙間を泳ぎ回っています。こうした生態系の美しさに心身を預けると、ゆっくりと自然と一体化して癒やされていきます。
内洞の滝
滝見歩道をぶらぶら歩いていって180度の楽水橋から見上げると、内洞瀑布(滝)の全体像を見ることができます。壮大な三段の滝に、黄金色の光が山嶺から降り注ぎます。亜熱帯樹林の繁る鮮やかな緑は、仙境のように美しく感動的です。河床に養分を与え続けている渓流のせせらぎは、私の悩みや迷いを洗い流し、落ち着きと謙虚な気持ちをもたらしてくれました。
內洞の上層の滝
大自然の神秘のベールを探るべく、三段の滝の上層滝に向かいます。滝壺に落下した水が白く細かい水けむりを巻き上げ、水しぶきから発生するマイナスイオンが私の頬を優しく触れます。この場の安定した強いエネルギーは、不純物を取り除いて空白を埋め合わせてくれるような気がします。物事の本質を見極め、思考の文脈を変え、前向きな意識を昇華させながら、時間の静寂を感じることができるのです。
森林浴歩道
さっき見た滝の絶景に後ろ髪を引かれつつ、急斜面と起伏に富んだ丘、鼻腔に抜ける花の香りを楽しみながら、木の根が絡み合う小径を進みます。このルートは内洞林道に通じていて、蝶々がひらひらと舞い、微風がさらさらと顔に触れて、木の枝を揺らします。森林浴歩道では、トレッキングポールを使って原始林の中をすいすい歩いて、心身が一体化する快感を味わうことができます。
“I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not, when I came to die, discover that I had not lived.”— Thoreau
この旅の帰り道に、日本統治時代に「雲来の滝」と呼ばれた烏来瀑布に立ち寄りました。 高さは80m、幅は10mに及びます。向こう側の崖から幾本かの水が白い糸のように流れ落ち、白い水しぶきを巻き上げています。巨大な滝のカーテンは、旅の終わりの幕にふさわしく、鮮明な記憶が蘇るとともに、上で引用した文章を思い起こしました。内洞、烏来の美しさは、ソローのウォールデン森の生活を描いたエッセイの雰囲気を再現しているような気がします。自然の薫陶を受けた意識的な生活では、体内の淀んだ息を吐き出し、美しい空気をいっぱい吸い込んで、いのちの新しい意義を再定義します。人生で流れていく時間は、滝を落ちる水のように止むことがありません。しかし流れていくのは浅薄で表面的なものであって、流れずに深いところに留まるのは人生観のようなものなのでしょう。
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