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他国を理解するということ 〜 台湾社会をどう見るか。台湾ウォッチャーの試み(途上)

台湾と日本

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一つの国を理解するということ

他国を理解するという営みは、とても難しい。数千万人が住む国を理解するということは、人間と組織と社会を理解することだ。たまたま知っている数人の友人をイメージして、あるいはネット上の意見を鵜呑みにして、この国は親日国である、反日国であると決めつけることではない。日本にだっていろいろな意見の人たちがいるのだから。

ある小説家はこのように語っている。リアリティのあるストーリーを生み出すには、その時代背景について理解するために10年ほどを費やす必要があると。何度も現地に足を運び、その時代に関連した資料を徹底的に読み込む。そこまでやって初めて、人を惹き付けるストーリーを書けるのだという。

同じように一つの歴史小説を書くのに、トラック1台分ほどの資料をかき集めるのが司馬遼太郎だ。同氏の『人間の集団について―ベトナムから考える』という本は、他国を知るための視点という点で大変興味深かったが、台湾に関しても『街道をゆく 台湾紀行』という本がある。一読をおすすめしたい。

数人の友人だけを見てその国のことを判断してはいけないように、1〜2冊程度の本を読んで、他国を分かったような気になってはならない。相手の国と長い時間をかけて向き合って、ようやく何かが見えてくるというような、息の長い取り組みになることを覚悟しておくべきだ。

他国を知るための試みのなかで気付いたことや得られた洞察は、あくまで「仮説」でしかない。現実をそのまま理解するには、しばらくは判断を留保するべきだと思う。結論を急いで下そうとすると、どうしても早々にレッテルを張って(何らかの判断を下して)、「こうかもしれない」ということを「こうである」「こうあるべきだ」と断定しがちである。ジャーナリストや評論家は、意識的にこうしたスタイルの言説を採ることがある。視点の切り口の鋭さで、日々起こる事件などを一刀両断に切ることができるからこそ、耳目を集めることができるからだ。

でも私はもっと愚直に他国に向き合いたい。人間関係のように、ゆっくりと付き合っていきたい。

台湾にはたくさんの知日派がいる。毎年のように日本に来て、その都度、日本人も行かないようなところまで足を伸ばして、新しい観光資源を発掘してくれている。日本人はどうか。隣人である台湾を知るために、もう少し努力をしてもいいのではないだろうか。

 

他国を理解するために何をするか

他国を知る・理解するには、何をしたらいいのだろう。まずその国に行ってみる、人と話しをしてみる、生活習慣を知る、歴史を学ぶ、言語を勉強する。いろいろな方法があるだろう。

1.現地に住んでみる

経験を重視する人は、まずその国に住むべきだと言うかもしれない。でも考えてみて欲しい。日本に住んでいる人は、みんな日本という国を深く理解しているのか。台湾人はみんな台湾社会を深く理解しているのか。現地に足を運んだり住んでみることは必要なことだが、それだけじゃないということはすぐ分かる。ただ、住むことでその国と自分の国の違いに日常生活のなかで自然と気付かされ、自国との違いを考える機会は増えるだろう。でもこれを安易なレッテル貼りに使うのはよろしくない。そうはいってもやはり住むことで得られる理解は多いはずで、私はいずれ台湾に住んでみたいと思っている。

台湾の映画や文学などの文化的な側面から台湾体験を語っている本に『台湾の歓び』がある。著者は映画評論家でもある四方田犬彦氏で、新しい視点で台湾を語っている。同氏の長期台湾滞在のお話は、他国を理解するために現地に住むという試みの、一つの理想型といえるのではないだろうか。

2.現地に足を運んでみる

まずは旅だ。しかもその国を理解するための旅なら、一人旅に限る。同じ国でも都市によって街によって、さらには路地によって、まったく空気感が違うことがある。歩いている人の目つきや雰囲気も違う。活気があるところ、あるいは人気がないところ、なんとなく怖いところ。自分の足で歩いてよく観察する。これが面白い。一人だからこそ、現地の人と会話をする機会が与えられるのもメリットの一つだ。

3.現地のニュースやSNSを読む

その国のニュースを読むというもいい。現地の複数のメディアの発信するニュースを、現地の言語で読むのだ。いまやFacebook上でも多くのメディアがニュースを発信していて、それぞれに数十件、場合によっては数百件のコメントが付く、というのが今の台湾だ。ここから分かるのは、台湾メディアが親中派、独立派などにかなり明確に分かれていること、そして、それらのニュースに対して、日本人から見るとやや過剰かと思われる反応があるということだ。コメントは時にひどいものもあり、読んでいるとその過激さに驚かされる。でもある台湾人から「台湾のFacebookは日本の2chみたいな場所なんですよ」ということを聞き、なるほどその傾向はあるかもしれない、と納得した覚えがある。それにしても、1億総評論家時代の今、メディアの社会的責任はかつてないほど高くなっているのではないか、と考えるようになってきた。あまりに先鋭的かつ立場を明示した論調は、議論を深めるよりも、社会の亀裂と分断を促してしまうのではないか。台湾メディアのあり方には若干の疑問を感じている。

4.現地のドラマや映画、バラエティー番組を観る

現地のドラマや映画、バラエティー番組を観るというのはどうか。言葉の勉強を兼ねて。この数年、アメリカドラマは言わずもがなだが、台湾やタイのドラマなども興味深く観てきた。毎夜のお酒はテレビに向かって飲むのだ。2014年以降は台湾のバラエティ、当時流行っていたのは小Sと蔡康永さんが司会の対談番組『康熙來了』だったり、最近では日本人の夢多さんが出演している『二分之一強』だったり、『WTO姐妹會』という番組などがある。『二分之一強』では台湾在住外国人がレギュラーで、台湾と各国の違いに焦点を当てていて、ときに面白い発見がある。

台湾のドラマは、日本で視聴できるのは一部に限られるが、どうも日本のものと似ているというか、面白みに欠けるのだが、でもやっぱりそこに表れる生活習慣とか、場所とか、そういうものを見るのは興味深い。2015年頃に日本で観ることができたドラマは、ほぼ恋愛もので、イケメンでツンデレの御曹司が主人公で、ヒロインと次第に恋仲になっていくという、ほぼほぼ鉄板のストーリーだった。一方の現実は、台湾男子は女性にとてつもなく優しくて、日本人からすると「アッシー」に近いような振る舞いをすることが多いらしい?!ということを最近知った。台湾女子の機嫌を損ねるのが怖いから優しくしてるだけという説もあるが、本当なのかどうか、、、

最近は台湾ドラマも本格的社会派やサスペンス系が出てきている(『我們與惡的距離』はとても良かった)。Netflixによるオリジナル制作作品などは、少々凝りすぎてて、これはどうかなというものもあり(『罪夢者』)、やっぱり鉄板の「ほのぼの恋愛もの」の方が良かったかなあ、などと考える始末である。あ、そうそう。Netflixでやっていた『一千回のおやすみを(一千個晚安)』というドラマは、とにかく台湾全国の美しい景色が見られるのでおすすめ。

☞ 最近の台湾ドラマ一覧は こちら

5.小説や話題の本を読んでみる

小説や本はどうか。信頼できる著者を見つけて、台湾と日本の比較的考察を読むのも面白い。たとえば日本で執筆活動をしている張維中さんの『東京模樣:東京潛規則,那些生活裡微小卻重要的事』などは、東京に住んで仕事をする台湾人がどういうところを見て、何を感じているのかを知ることができる。日本の新聞記者出身で台湾に精通している野嶋剛さんの著作もおすすめだ。『原來,這才是日本:34個文化深度探索』などは、台湾人に向けて日本の生活文化の特徴と背景を解説する試みで、もし台湾で生活するのなら、普段の会話でとても役に立つであろう内容が盛りだくさんだ。

最近、韓国で数年前にベストセラーになった本『82年生的金智英』を中国語で読んだが(台湾で映画化されたそうだ)、その国の人々に売れたベストセラーには目を通してみるのもありだ。台北の空港で平積みになっていた『蔡康永的說話之道』という本なども、読んでみると人間関係に悩む台湾の人たちのニーズがあることが分かる。というか、これは世界中あらゆる人間が悩んでいる問題なのだけども。

日本でもベストセラーだった『嫌われる勇気』という本も、台湾で翻訳されて『被討厭的勇氣』として売られていて、昨年もベストセラーの一冊になっていた。昨年Kindleで読んだ『情緒勒索:那些在伴侶、親子、職場間,最讓人窒息的相處』を読むと、身近な人たち、特に親による影響が生き辛さを生み出している台湾ならではの重さを感じさせられる。親や年配者が絶対である儒教ならではの風習は、次第に東アジア社会の若者にのしかかる大きな重しになってきている。

アメリカの『怒りの葡萄』(スタインバック)では、1930年代の米国で数多くの農民が流民となり西部を目指すが、次々と襲いかかる苦難も飲み込みながら生き抜こうとする不屈の人間を描いている。まさに国民文学といっていい作品だろう。

台湾にとってのそんな作品は何だろうと思いながら手に取ったのが、『單車失竊記』(吳明益)だ。父親の失踪とともに消えた自転車を追いながら、めくるめく歴史の記憶が広がっていく。その幻想的な描写の美しさは感動的だが、根底には台湾人にとってのアイデンティティはどこにあるのかというテーマがあるように思える。言い換えると、日本を含むさまざまな国の支配を受け入れざるを得なかった台湾という国に住む人たちにとって、私たちは何者かという問いは、根源的なものなのかもしれない。この作品は今後広く読み継がれていけば、国民文学たりえるだけの、力強く美しいストーリーを持っている。

最近知ったのだが、台湾の男性の多くは、金庸の武俠小説を読んでいるらしい。香港の作家で、中国語圏内で絶大な人気を誇るが、最近亡くなった。中国語で読んでみるかとKindleでダウンロードしたものの、難しくてなかなか進まない。日本語版も出ているので読んでみようと思っている。1955年に発表した第1作目は『書剣恩仇録』だが、長編が12部もある。

誠品書店などの本屋に行って、どのような本があるのかをぐるぐる見て回るのもおすすめだ。

台湾大手書店での2019年ベストセラー一覧
https://www.openbook.org.tw/article/p-63139

6.歴史を知り、自国や近隣国との関係性を理解する

他国を知りたかったら、まず歴史を知ることが不可欠である。長い歴史も大事だけど、特に近現代史を通じて、国際関係の経緯を知っておいた方がいい。これもいろいろな資料に当たってみたい。入門書は『台湾―四百年の歴史と展望』。

台湾と日本のはざまを生きて 〔世界人、羅福全の回想〕』のような回想記もいい。もしさらに台湾の近現代史の実相を知りたかったら、『台湾海峡一九四九』にも目を通してもらいたい。

7.宗教・思想的背景もかなり重要

マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』のように宗教と経済の関係を分析した本は特に有意義だ。最近読んだ本では、『日本型資本主義-その精神の源』(寺西 重郎)が特に面白かった。日本の宗教的背景と流通組織の発展について、説得的に論じている。

台湾版のこの類いの本を読んでみたいが、まだこれといった本を見つけられていない。入門編としては『現代台湾を知るための60章』などはどうだろうか。

台北の住宅はマンションが多いが、驚くほどの高額で、若い人たちはとても入手できるものではない。いろいろと見ていると、どうも台湾人には土地に対する思いが強いようで、それが不動産の高騰を招く要因にもなっているようだ。台北ではさらに、賃貸でも地主の権利が強いようで、一方的な賃料の値上げがよくあると聞く。日本の飲食業が台北に進出しても採算が合わずに撤退するケースが少なくないが、テナントの賃料が高すぎることがよく指摘されている。こうした現実は、宗教・思想的な背景が影響しているとしても、制度的に改善していく必要があるだろう。

1980年に出版された『中国人の街づくり』という本がある。タイトルに中国とあるが、台湾の家、建築、街などへの考え方の根底に「風水」があることを解説しているそうで、既に古本を入手している。台湾に渡ってきた福建・広東出身の人々から台湾が何を受け継いでいるのか。土地の所有へのこだわりにどのような影響を及ぼしているのか。ひょっとすると何かヒントが得られるのではないかと期待している。

 

台湾は大人な国?

台湾を最初に訪れた2014年以降の数年間、私は台湾を「大人な国」ではないかという仮説を立てた。大国のお隣に位置する国は、大人な態度をとれないと生き残ることができないからだ。たとえばアメリカに隣接するカナダ、アジアで唯一欧米諸国の植民地にならなかった国、タイ。あるいはドイツとロシアに挟まれ、何度も蹂躙されてきたポーランド。中国と日本に振り回されてきた代表的な国の一つが台湾である。

大人な態度とは何か。我慢して得を取ることである。感情任せにせず、長期的な生き残りのためには、ときに目の前の気に食わない相手の態度にも目をつぶる。そういう柔らかい強さのことだ。あるいは、態度をはっきりさせない。形勢が見えるまで態度を明確にしないことで、生き残りの可能性を高める。

たとえばタイは、第2次世界大戦中に日本側と同盟を結び、英米にも宣戦布告を行っていたが、1945年に日本が終戦宣言を行うと、タイは連合国への宣戦布告の無効を宣言し、戦争中に得た領土をイギリスに返還することを表明した。一方で、日本軍に対しても、空に向かって空砲を撃ち、英米側に付いたことを明白にしながらも、日本からの怨みを買わないようにしたという話がある。タイという国のしたたかさを示すエピソードだ。

台湾はタイのようなしたたかさを備えており、日本に比べたら中国との付き合い方を熟知しているはずだから、日本はその知恵を借りるべきだと、当初は思っていた。

が、しかし、台湾社会のことを知れば知るほど、この仮説は間違っていたと思わざるをえない。もちろんそういう台湾人もいるだろうが、社会として見た台湾は、「膝を屈してでも今は生き残るのだ」という風には考えない。白黒をはっきりさせて、感情を、旗幟を鮮明にする。特にここ数年の中国共産党に対する嫌悪感は強く、それはもちろん中国政府の稚拙なやり方にも大きく影響されているのだが、中国で仕事をした芸能人がネットで叩かれることなどは日常茶飯事である。ビジネスも同様で、あの食品会社は中国寄りだから、あの会社が作っているお菓子は食べないといったことも起こる。

日本も台湾も経済的に中国に依存しているところは大きいが、だからこそいろいろと問題があってもうまく付き合っていこうと考えるのは、むしろ日本のようだ。

 

台湾人の正義感と義理深さ

白黒はっきりさせて感情を出す。台湾人は真っ直ぐな正義漢なのだ。
気持ちのよい隣人ではないか。最近そう思うようになってきた。

日本がついついグレーで曖昧な態度をとりがちなのに対して、良い意味で、真っ直ぐな態度を明確にしてくれるのが台湾人であるように思える。

清濁併せ飲むことが大人の条件のように考えがちな日本に対して、台湾人はもっとストレートな人たちだと思う。

そんな簡単に「親日国」であるとレッテルを張るべきではない。日本が嫌いな人も少なくない。たとえばFacebook上でも、日本人が台湾に来るとほっとするという発言に対して、「昔の植民地だから欧米に行くのと比べてほっとするのだろう」というコメントがあったり、台湾でビジネスを始めようとする日本人に対しては、「また台湾を利用するのか!」といったコメントが付くことがある。

けれども、もし嫌いだとしてもその人たちが目の前で本当に困っていたら、ついつい助けたくなってしまう。それが台湾人であるように思う。

だから東日本大震災のとき、あれだけの支援をしてくれたのだろうと考えている。

 

緩さと優しさと

台湾人は日本人と比べると「おおらかで緩い傾向がある」とよく言われる。緩いというのは厳格さの反対で、気軽な心持ちのイメージである。たしかに台湾のコンビニなどに行っても、店員がケータイで電話していたり、お客さんそっちのけで店員同士で盛り上がっていたりなんてシーンを目にする。でも台湾旅行中の日本人にとっては、これもなんとなくほっとする理由の一つかもしれない。

台湾に限らず、日本人が海外、特に暖かい地域に行けば、こうした場面にはよく遭遇するだろう。日本人の居酒屋でのよくある会話の一つは、「暖かい地域は食べるものに困らないから、おおらかで緩さがある」という内容である。本当なのかどうかはよく分からない。

日本人はとにかく厳格である。たとえアルバイトであっても厳格なルール厳守が求められる。しかも、社会に出たらある程度の理不尽さは付きもので、それに耐える力は必須と考えている節がある。中学校で始まる「部活」は、そうした理不尽さへの耐性を鍛える場であると考えている親は、今でも少なくないかもしれない。

でも理不尽さに声をあげないことで、社会や組織に根付いた問題が先送りされがちだ。みんなが空気を読む社会の、管理のしやすさと、長期的にはそれ自体が桎梏になり得るという表裏一体のバランスが、近年の日本では急速に崩れてきた。最近よく使われている「忖度(そんたく)」という言葉は、まさにこのことを意味している。

私が知る台湾人には、「おれがおれが」「私が私が」という自己主張の強い人が少ない気がする。英語の勉強は好きだけど、外国人と接すると英語を話さないという人も多いという。なんとなく日本人と似ていないだろうか。

でも、姿勢を明確にすること、そして、おおらかさという点では、おそらく台湾人に分があるように思う。おおらかさは、優しさにも通じている。

 

日本の職人気質への憧れ?

台湾には日本の「職人気質」への憧れのようなものがあるようだ。台湾人の著者による『和食古早味:你不知道的日本料理故事』という本をいま読んでいる。

日本の飲食におけるありとあらゆる分野に、料理の方法や作法に厳格なルールがあることに対する驚き。そして、その根底にある職人気質を、外国人の目線から礼賛している。

もちろん日本人として、こうした評価は嬉しいことだ。日本のもの作りに対しても、外国からの評価は高く、それらを特集したテレビ番組もよく放送されている。

一方、こう考える日本人も少なくない。職人気質礼賛がかえって日本の「ガラパゴス化」、つまり日本という小さな地区に限定された、特殊最適化を招いているのではないかと。特定の職人に依存しているから、組織的にスケールさせることができない。仕組みとしてグローバルに広げていくことが難しい。これはここ数十年にわたって、日本企業に突きつけられている大きな課題となっている。台湾ではどうだろうか。台湾の組織については、まだ知ることが少ない。

 

なんで台湾なのか〜台湾ウォッチャーの試み(途上)

なんで台湾という国を理解したいのか。なんとなく心惹かれた国、台湾が気になるから、としか言えない。自分なりに深く理解したいから、というのが本当の気持ちだ。

ここで書いたことも、まだまだ一つの「仮説」でしかない。「台湾通」の活動を通じて、台湾のいろいろなところに住む知人・友人も増えてきた。年齢も学生から20代、さらに同世代から年配の方まで幅広い。会ったときにはここで書いたような私論をぶつけてみたいのだが、私の中国語能力はまだまだ足りない。

今後も台湾に足を運んで、いろいろな人と交流しながら、台湾という友人と付き合っていきたい。そう考えている。

 

 

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