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(日本語翻訳=あや、Kotaro)
今日はみなさまに、日台関係の歴史の出発点、山口県下関市の日清講和記念館をご紹介したいと思います。
1894年に日清戦争で清国が敗戦するところまで遡ります。
1895年4月、山口県下関市で「馬関条約」(日本では「下関条約」と呼ばれる)が締結されました。
内容は、清国が台湾、澎湖、遼東半島などを日本に割譲するというものでした。
こうして、その後50年間に及ぶ日本と台湾両国の歴史が始まります…
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こうした歴史に関心を持っていた台湾人の私は、
2017年3月、山口県下関市の日清講和記念館を訪れました。
記念館は、講和会議の舞台となった春帆楼の隣に造られています。
入口の傍らには、記念館が設立された経緯を記した記念碑があります。
また、館内には、1895年に下関条約が締結された当時の調度品や写真が展示されています。
写真では、日本国と清国から講和会議に参加した両国代表者や、清国全権の李鴻章の座席の並び方などを確認することができます。
厳粛な表情で交渉を行っている当時の両国官僚の様子も、写真に記録されています。
歴史に「もしも」はありませんが、もし日清戦争がなく、「下関条約」もなかったとしたら、台湾と日本は今のような緊密な関係にはなっていなかったのかもしれません。
おそらく多くの中国人(当時の清国)にとって、日清戦争での敗戦は良くない記憶といっていいでしょう。
しかし(台湾人の)私から見ると、これは日台両国共通の歴史の出発点ともいえるのです。
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