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日本人が知らなさすぎる台湾の歴史

台北城

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【 台湾 北門 歴史 】

ほんとびっくりするほどに。
日本人は台湾の歴史を知らない。あー、他の国のことだから知らなくても当然と言えばそうかもしれないけど。
でも、

「台湾は 50年 もの間、日本だったんだぜ。」

っていうと、「ええっ!」ってなる確率80%以上。
これはいかがなものかと思うので、ちらっとだけ。

1894年に日清戦争があった。

1895年、下関条約によって、清(当時の中国ね)から、日本に割譲された。
そして
1945年、第二次世界大戦で日本が敗けて、ポツダム宣言によって中華民国(これまた当時の中国)に編入された。

台北城
↑日本が来た頃の台北。台北城という城壁に囲まれた城塞都市があって、その西側、淡水河に沿って、そもそも栄えていた地区がある。この辺の歴史も興味深いのだが、それはまたいずれ。

50年、長い。
だから、台湾のおじいちゃん、おばあちゃんは小学校時代は日本語教育だったりするわけで、日本語が話せる。
警察は110 救急車は119
日本の名残はいたるところにある。

かの有名な暗号「ニイタカヤマノボレ」の新高山は実は台湾にある山なんだぞ。(台湾では玉山という)
しかも標高は3953m! 富士山より高い!
つまりこの時代、小学校で先生が「日本で一番高い山は?」聞くと、児童たちは
「にいたかやまー!!」と元気に答えていたわけだ。これほんと。

北門北門
北門 ここを通って日本は台北に入ったのだ。

日本統治時代という言い方をする。確かに占領というニュアンスではなく、日本の一つの地域として一生懸命発展させようとした雰囲気は感じる。でも、それは日本人の押し付けだったかもしれないし、それで台湾人が幸せになったかどうかそれは分からん。

でも、総じて前向き、プラス思考な台湾人は、「日本、謝謝」と感謝して、日本のことが好きだ。
これって、とても素敵。 逆の立場だったらどうよ? 日本人? 悪いことの方に注目して恨み言を言ったりしないかい?

北門
↑ 北門の横っ面。城壁の跡が見えるでしょ? 4.5mの城壁の上はお馬さんがパコパコ走る幅があったそうな。

日本が来て、城壁を壊して、その城壁の跡が今、台北の幹線道路になっている。
そして、日本が去って、中華民国になって4年後、蒋介石が毛沢東に負けて台湾に逃げてきた。
そして、中国は中華人民共和国になり、台湾は一応中華民国になるわけです。

中華人民共和国(略して中国(笑))は、中華民国を認めていないわけで、台湾は中華人民共和国の一部だと今でもずっと主張しているよね。

ちなみに、日本は1972年にその中華人民共和国と国交を正式に結んだので、その手前、台湾を中華民国という国として認めることができないんだよね。だから、実は日本と台湾には正式な国交はないのです、今でも。だから大使館もない。(別の名前でその役割をはたす機関はちゃんとあるけどね)

そんな複雑な関係なのにとっても仲の良い台湾と日本。
これって奇跡。大事にせざるを得ない、私たち。

台湾人は(一部かもしれないけど)、「外国人」というと、西洋人や東南アジアの人や、インド人なんかを指す。
日本人は「日本人」であって、「外国人」という感覚ではないんだ。これって、やっぱ素敵。
(中国人のことは、、、「大陸人」と呼ぶ)

というわけで、日本人に知っててほしい、台湾の歴史の話でした。

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